「信じられない。どうしてあんなことができるのか」
「最低だ。あいつは人間じゃない」
「絶対に許せない。絶対に裁かれるべきだ」
このように、私たちの心にはしばしば「他者を裁く感情」が自然に湧き上がってきます。
そして多くの人が、その感情を持つこと自体を「良くないこと」のように感じ、悩みます。
しかし、ここでも忘れてはならない前提があります。
“裁きの感情”もまた、与えられた善であるということ。
そう感じたということは、あなたの中に
「何かを守りたい」
「正しくありたい」
「苦しむ誰かの味方になりたい」
というまっすぐな本質がある証拠です。
つまり、「裁きの心」もまた、あなたが“愛の存在”であるということの証明なのです。
ですが、この裁きの心は、ときに大きなエネルギーを持ちます。
それはやがて怒りとなり、復讐心へと変わり、あなた自身の心を蝕んでいきます。
では、どうすれば良いのでしょうか?
ここで大切なのは、無理に「許そう」としないことです。
「怒ってはいけない」と抑える必要もありません。
むしろ、怒っている自分を、まずそのまま認めること。
それが、静かに裁きの心をほどく第一歩です。
そして、時間が経つにつれ、ふと気づく瞬間が来ます。
「なぜ、あの人はあんなことをしてしまったのか」
「どんな過去があり、どんな恐れや無知があったのか」
そう想像する余地が、心に生まれてきます。
このとき、初めて「許し」という感情が、ほんのわずかに芽を出します。
それは、力んで出すものではありません。
自然と湧いてくる、“静かな理解”のようなものです。
そしてもう一つ、根本的な視点があります。
あなたが怒りを向けた相手もまた、大いなる方に愛された存在であるということ。
そしてその人の人生すら、あなたと同じように、最善として織り込まれているということです。
そう考えるとき、
あなたの怒りは薄れることはなくとも、
どこかに「納得」という感覚が芽生えるかもしれません。
それは“許す”というより、
裁かないという選択を受け入れるという姿勢かもしれません。
「許さないこと」もまた、誠実で、尊い感情です。
そしてその感情の先にある、穏やかな境地への道筋は、いつもあなたの内に備わっています。
裁きと許しのどちらも、善であり、道です。
どちらにいても、あなたはすでに大切な場所に立っています。
第6章 裁く心と許す心
他人を裁く衝動もまた自然な感情。しかし、その先にある「裁かなくなるプロセス」を静かに導く章。

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