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続・続・続編|泥団子の優しさと、静けさに滲む強さ

ある日の午後、家でくつろいでいると、宗教の布教を目的とした方がインターホンを鳴らしました。僕は穏やかに応じて、こう提案しました。「よろしければ、ゆっくりお話ししませんか?」しかしその方々は、どこか戸惑ったように少しだけ沈黙し、「また機会があ...
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【続・続編】救いは、最初から不要だったのかもしれない。

「誰もが救われる」と聞けば、多くの人は、どこかでこう思うかもしれません。> 「そんなはずはない。あの人は悪い人だ。あの子は可哀想だ。私は努力してきた。あの人は怠けていた。」けれど、僕にはどうしても、最初から沈んでなどいなかったように思えるの...
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【続編】静けさの中にある“畏れ”──祈りの本質と、人が言葉を失うとき

前回の記事では、僕の「祈り」について、その性質や在り方が“冷酷”と受け取られがちであること、そして、それはむしろ“論理”を超えた感謝であるということを書きました。今回はその先、「なぜ僕がそのように世界を見るのか」「なぜ多くの人が僕の反応を“...
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「祈り」とは何か――大いなる方と静かに向き合う対話

僕は「祈り」という言葉について、長く深く考えてきました。人は多くの場合、「祈る」とは何かを願い、お願いし、求める行為だと捉えます。しかし僕の祈りは少し違います。祈ることは形式や儀礼ではなく、むしろ自動的な反射のようなものです。食事の一口目の...
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言行超越とは?

言葉と行動の壁を超えた「本物の自己表現」

1. 言行不一致のデメリット言葉と行動が一致しない状態、つまり「言行不一致」は信頼を失う最大の原因です。例えば、「私は約束を守る」と言いながら守らない人は信用されません。言葉と行動のズレは誤解や不信感を生み、対人関係を壊してしまいます。--...
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偏見って本当に悪いこと?

〜『偏見力を磨く』とは?〜

「偏見は良くないこと」多くの人が、そう決めつけている。でも、果たしてそれは本当だろうか?いや、偏見は本当に“悪”なのだろうか?---■ 偏見とは何か?その正体偏見とは、十分な根拠がないまま下される判断――とされている。だが、これは裏を返せば...
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大切でない一万人を捨て、最も大切な一人を見つける旅に出よ

はじめに私たちはいま、かつてないほど多くの「つながり」に囲まれて生きています。SNSのフォロワー、グループチャット、LINEの友だちリスト。しかし、その中に本当に自分を探しに来てくれる人は、果たして何人いるのでしょうか?SNSの「つながり」...
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【未来予測】2026年、米は1万円時代へ?──中毒・備蓄・優越感で需要爆増の理由

はじめに:米が高くなる“ただならぬ兆候”2024年、備蓄米の放出という出来事を通じて、日本人の多くが「米のありがたみ」に気づかされました。そして2025年、気候変動・生産者の高齢化・農業離れにより、供給がじわじわと細る状況に突入。多くの人が...
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【無理論】「無理」とは何か? 〜愛と教育で無理を超える〜

はじめに「無理」という言葉は、日常で何気なく使われます。しかし、そこには驚くほど多様な意味が詰まっており、時に他人を深く傷つける力も持っています。本記事では、「無理」という言葉を多角的に掘り下げ、それがどう人間関係に影響し、どうすれば「無理...
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ホモ・サピエンスを卒業する者たちへ

― 愛されているという「勘違い」が、人類を次の段階へ導く ―

■ ホモ・サピエンスの限界について「ホモ・サピエンス」という言葉は、「賢い人間」という意味を持ちます。しかし私自身は、その枠にはもう収まらないと感じています。なぜなら、私は「知っているふりをする」という人類の癖そのものを、すでに超えようとし...