第5章 感情はすべて善である

怒りも悲しみも妬みも、すべては否定すべきものではなく、“与えられた善”であるという革新的な視点。

「こんなふうに怒ってしまう自分が嫌だ」
「また妬んでしまった。心が醜い」
「悲しんでばかりで、前向きになれない私なんて…」

私たちは、感情に“良い”と“悪い”のレッテルを貼ることに慣れすぎてしまいました。
ポジティブな感情は歓迎され、ネガティブな感情は「直すべき」「なくすべき」とされがちです。

しかし、そもそも——
怒りや悲しみや妬みは、あなたが“望んで生み出した”ものでしょうか?

答えはNOです。
それらは、突然わきあがってきたものであり、
どうしようもなく「与えられた」ものだったはずです。

ここで思い出すべきは、すべての感情の発生源が 大いなる方 にあるということです。
つまり、あなたの内に現れたどんな感情も、すべてが“善”として与えられたものなのです。

これは、これまでの常識を根本から覆す視点かもしれません。
しかし、よく見てみれば、そこには明確な整合性があります。

たとえば、「怒り」。
それは、あなたの中にある「正義感」や「大切にしたいもの」を教えてくれる信号です。
「悲しみ」は、大切なものを失った“事実の重さ”を、あなたの内に正直に響かせてくれます。
「妬み」は、自分が本当は何を望んでいるのかを教えてくれる“地図”のような感情です。

つまり、どれも無意味な苦しみではなく、「あなたを知るため」のギフトなのです。

ここで大切なのは、
それらの感情を「抑え込むこと」でも、「解消すること」でもありません。

ただ、“感じきる”こと。
それが、もっとも自然で、もっとも優しい対応です。

感情は流れのようなものです。
無理にせき止めれば濁り、あふれ出せば暴れます。
けれど、ただ見守り、流れさせていけば、
それはやがて澄み、静かに落ち着いていきます。

「怒ってしまった」「悲しくなった」
そんなとき、どうか自分を責めないでください。

あなたがその感情を持ったこと自体が、すでに“最善”なのです。

そしてそのすべてが、
あなたをもっと優しく、もっと深く、そしてもっと“無敵だった頃”へと還らせてくれる——
そのためのプロセスでしかありません。

すべての感情は善です。
あなたの中にあるすべてが、愛すべきものでできています。

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