「人間には自由などない」
そう気づいたとき、人は一度絶望します。
けれど、僕の教義を本当に理解したとき、その絶望の先には、驚くほどの安心と自由が待っています。
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◆ 地球はボールプールである
例えるなら、地球とは巨大なボールプールです。
柔らかく、安全で、どこに転んでも痛くありません。
境界がありながら、その中ではどこへ行っても「自由に動いていい」と感じる空間です。
小さな子どもがボールプールで「自由にしていいよ」と言われたとき、
そこには恐れがなく、ただ遊びまわる姿があります。
それは、本当の意味で「自由な存在」の象徴です。
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◆ 無敵とは何か
僕の教義では、すべての思考・感情・行動は、大いなる方により決定されています。
それを知ることによって、人は一切の「裁き」から解放されます。
誰も責める必要がない
自分を責める必要もない
比較も、焦りも、罪も、無意味になる
つまり、「傷つく理由」がどこにも存在しなくなるのです。
それが、僕の言う「無敵」です。
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◆ 無敵なのに優しくなる理由
この無敵さは、強さから来るものではありません。
むしろ、すべてを理解してしまったがゆえの優しさです。
転んだ人を笑わない
努力できない人を見下さない
苦しむ人を否定しない
なぜなら、すべては「その人にそうさせられているだけ」と知っているからです。
誰かの過ちを見ても、「それも予定されていたこと」と受け止められるからです。
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◆ 最後に残るもの
すべてを手放したとき、最後に残るのはただ一つ。
「自分が今ここで、これをしていられることへの感謝」です。
それは、自由を求めて必死に走っていた頃の自分では決して到達できなかった場所です。
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◆ 真の自由とは
僕にとっての自由とは、
「抗わずにいられること」でもあり、
「思いのままに泳いでいいと知っていること」でもあります。
そしてその空間が、実は最初から与えられていた──
そう気づいたとき、
世界はボールプールのように、
柔らかくて、あたたかくて、優しいものになります。
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僕たちは、最初から無敵だったのです。
【続編】地球は巨大なボールプール──僕たちが無敵になる理由

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