現代の若者は、どんなものでも“自分仕様”にアレンジして生きている。
フラペチーノ一杯ですら、
甘さ、トッピング、シロップ、氷の量まで自由自在。
つまり 「自分で選んで、自分で作る」 のが当たり前の時代です。
ところが宗教だけは、なぜか古来からの形を崩さず、
「変えてはいけない」「混ぜてはいけない」という空気がある。
若者が宗教から距離を置くのは、
宗教が“古い”からではありません。
宗教のフォーマットが、いまの感覚とズレているからです。
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■ 部分的に取り込むだけでいい、という発想
ある人はこう言いました。
> 「神とはこうだと思う。世界とはこうして出来たと思う。」
それを聞いた人はこう感じるかもしれません。
> 「前半は共感できる。でも後半は受け入れられない。」
では、それでいいのです。
共感できる部分だけ取り込めばいい。
宗教を“全部信じる”必要はありません。
他人の思想を“丸ごと採用する”必要もありません。
あなたが心から納得できる一部を拾い、
自分の宇宙観に加える。
その積み重ねが
あなた自身の “精神の武装(知の防具)” になります。
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■ 宇宙観の“欠落”こそ、死に際の苦しみの原因
死生学(タナトロジー)でも明らかになっています。
死の直前に地獄を見る人は、
たいてい「世界観がゼロ」のまま人生を終えようとする人です。
宇宙とは?
生とは?
死とは?
その後は?
これらを“何も考えないまま”でいると、
最後の瞬間に一気に恐怖が押し寄せます。
無知のまま死に直面することは、
精神にとって最大級の負荷なのです。
> 共感した部分をひとつでも取り込み、
自分なりの宇宙観を持つだけで、
死の恐怖は大幅に軽減される。
これは真理です。
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■ アメリカと日本の“死のケア”の差
アメリカの終末医療では、
牧師・聖職者が患者に寄り添うのが当たり前です。
なぜなら “死に際のケアの本質は精神” だから。
日本ではこの文化がほぼ存在しないため、
特に“無神論者の末期”が苛烈になりやすい。
「拠り所が何もない」
という状態で死と向き合うのは、
まさに“地獄そのもの”です。
だからこそ、
> 宗教でなくてもいい。
どこかの思想から、理解できる部分だけでも持てばいいのです。
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■ カスタム宗教という新しい選択肢
宗教は、固定である必要はありません。
もはや“既存宗教を丸ごと信じる時代”ではありません。
既存宗教の好きな部分を選んでもいい
悟りの部分だけ取ってもいい
死生観だけ取り込んでもいい
不足するなら自分でアレンジしていい
必要なら新しい宇宙観を作ってもいい
フラペチーノを自分流にアレンジして楽しむように、
自分の精神を支える宇宙観を自由に調整していい。
むしろ、それが自然です。
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■ 結論:カスタム宗教は「現代人の救い」である
既存宗教のすべてを信じる必要はない。
スピリチュアルに流される必要もない。
無神論で虚無に沈む必要もない。
必要なのは、自分の宇宙観の“核”を一つ持つことだけ。
たったそれだけで、
人は“死に際の地獄”を避けることができる。
そしてそれは、
あなたの好きな思想の“共感できる部分ひとつ”があれば十分なのです。
フラペチーノはカスタムできるのに、宗教はカスタムできないの?
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