気づかれない場所に宿る、静かな優しさ


日常の風景の中には、誰にも気づかれず、
誰にも評価されることのない美しい瞬間が、静かに息づいています。
先日、私はそんな「静かな優しさ」に立て続けに出会いました。




■ 電車待ちのホームで見た、完璧なる善行

電車を待っていたある日のことです。
ベビーカーに乗った赤ちゃんがいました。
その隣には一人のおばあさんが並んでいます。

赤ちゃんは、これから来る電車を期待するように前方をじっと見つめていました。
その視線を、おばあさんはしっかりと感じ取っていたのでしょう。
彼女はそっと一歩下がり、赤ちゃんの視界を遮らないようにしたのです。

その行動は、間違いなく完璧なる善行でした。

しかしその善意は、赤ちゃんにすら伝わりません。
理由も分からず、感謝もせず、記憶にも残らない。
それでも彼女は見返りを求めることなく、自然な動作としてその一歩を選びました。

もしこれを誰か知り合いの前で行っていたら、
彼女は「優しい人だ」と尊敬されていたことでしょう。
しかし、彼女はそんな賞賛すら望んでいないのです。

私は確信しました。
彼女は、生き方そのものがすでに満ちている人なのだと。




■ 道ですれ違った家族に見つけた、まぎれもない愛

また別の日のことです。
私は道端で、ある家族とすれ違いました。

母親と、小学生くらいの姉妹の三人。
並び方は、お母さんが1番外側、その少し前に妹さん、
そしてお母さんの斜め右後ろにお姉さん、という構図でした。

驚いたのは、
その並び方のまま、お母さんが姉妹の両方と手をつないでいたことです。

私は瞬間的に「歩きづらいだろうな」と思ったのですが、
彼女はその素振りを一切見せず、
むしろ優しい声で楽しそうに会話しながら歩いていました。

きっと彼女にとっては、これが“普通”なのです。

外側を歩いて二人を守り、
手をつなぐことでその守りを強固にし、
さらに楽しげな会話で心まで包み込む。

私はその姿から、まぎれもない愛を見ました。

姉妹が母親の偉大さに気づくのは、何年も先かもしれません。
もしかしたら、気づかないまま人生を終える可能性すらあります。

しかし私は、その瞬間に確かに存在する母の愛を目の当たりにして、
心の底から嬉しくなりました。




■ 気づく者だけが受け取れる、世界の“優しさ”

赤ちゃんにも、子どもたちにも伝わらない。
評価もされない。
記憶にも残らない。

それでも、善意を選ぶ人たちがいる。

私はその姿に触れたとき、
世界は美しいと思えました。

愛など幻想であり存在しない、と主張する人もいます。しかしその人は今回の事柄をどう説明できるでしょうか。


私は日常の中でふと生まれる小さな奇跡を、
これからも見落とさずにいたいと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました