人間はなぜ、平野に住むことを好むのでしょうか。
それは単に便利だから、ではありません。
広く、穏やかで、太陽の光がよく届き、水が流れ、作物が実る。
人類の繁栄は、この「平野」という地形の上に築かれてきました。
まるで神が人間のために用意した楽園のように。
しかし、この「平野」という奇跡を、人間はいつしか“自分のもの”だと思い始めました。
所有し、区切り、名義を付け、そして売買を始めたのです。
その結果として生まれたのが、今日に至るまで続く経済格差の構造です。
平野を「持つ者」は富を築き、
平野を「持たぬ者」は放浪し、
子々孫々、その差は縮まることなく続いていきます。
けれども、冷静に考えてみれば、
人間がどれほど長生きしたところで、せいぜい120年。
そのわずかな間だけ借りている土地を「所有している」と思い込むことこそ、
人間の最大の勘違いなのかもしれません。
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奪い合いの構造 ― 幼稚な文明の鏡
戦争も、ヤクザの縄張り争いも、子供たちの砂場の取り合いも、
本質的には同じ構造をしています。
「ここは俺の場所だ」
「いや、私のものだ」
――その言葉に理性や成熟はありません。
人間がいくら文明を進化させても、根底にあるのは依然として“奪い合い”の思考。
つまり、人類はいまだに「幼稚園児の延長線上」にいるのです。
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大人の発想 ― 平野が欲しければ、造ればいい
しかし、大人とは本来、幼児よりも少しは賢い存在のはずです。
ならば、誰かから奪うのではなく、自ら創り出せばよいのです。
もし「平野がもっと欲しい」と思うのなら、
「では、試しに製造してみよう」――そのくらいの発想でいい。
テクノロジーは日々進化しています。
地球そのものを模倣し、気候を再現し、重力を調整し、
人間が快適に暮らせる「もう一つの地球」を設計できる未来が来るかもしれません。
ですが、仮に人類が太陽の裏側に“第二の地球”を作るとしても、
そこに関東平野のような、
あの奇跡のような広大で豊かな土地を再現することは、
きっと最も難しい挑戦となるでしょう。
平野とは、地球が何億年もの時間をかけて築いた「自然の知恵」の結晶だからです。
人間が一朝一夕で真似できるものではありません。
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平野製造論 ― 人類の成熟を問う思想
だからこそ私は、この考えを「平野製造論」と呼びたいのです。
それは地形学の話ではありません。
文明論であり、倫理学であり、そして未来への哲学です。
平野製造論とは、
「奪い合う時代を終え、創り出す時代へ移行する」
という人類の知的成熟を象徴する思想なのです。
人間が自然を支配するのではなく、
自然と同じスケールで“新しい自然”を創り出す。
それは、人類史における「第二の創世記」とも呼べる瞬間になるでしょう。
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終わりに ― 奪うことをやめた先に
人類は長い間、土地を奪い、所有し、守ることに力を注いできました。
しかしその延長線上にあるのは、争いと分断、そして孤独です。
もし、技術と思想の両面で成熟したとき、
私たちはようやく「奪う」ことをやめ、「創る」ことの意味を知るでしょう。
平野製造論――
それは、争いの果てに生まれる最後の思想ではなく、
争いのない未来を創り出すための最初の思想です。
平野製造論 ― 奪う文明から、創る文明へ
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