人は誰しも「悩みをなくしたい」と言います。
しかし、よく考えてみれば、悩みとは「やりたくてやっていること」ではありません。
だからこそ苦しいのです。
けれど、私は思います。
悩みとは、生理現象のようなものだと。
眠気や空腹と同じように、条件が揃えば自然に起こる。
つまり「悩まないようにしよう」とするのは、
「お腹が空かないようにしよう」と言っているのと同じくらい無意味なのです。
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悩みには、即座に解決策がある
実際、人が抱える悩みの多くは、冷静に見れば即座に解決できるものばかりです。
会社を辞めたい → 辞めればいい。
離婚したい → すればいい。
死にたい → 死ねばいい。
それほど単純な話なのに、ほとんどの人はそれを実行しません。
つまり、「悩みを解決しない」という選択を、自覚のないまま選んでいるのです。
だから私はこう言います。
行動しないのであれば、いっそ「悩みを大切に味わえばいい」と。
それはあなたが今、人生でまさに“体験していること”だからです。
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悩みを利用して生きる人たち
世の中には、悩みを「味わい」「利用し」「快楽に変える」術を身につけている人もいます。
たとえば、主婦同士の井戸端会議。
「うちの旦那は最低でね」と愚痴をこぼす人の方が、
「うちは本当に幸せよ」と言う人よりも場の主役になれます。
なぜか?
人は“幸福よりも不幸を共有する”生き物だからです。
悩みは、他人との共感を生み出す最強のコミュニケーションツールでもあるのです。
このレベルまで悩みを使いこなせるなら、
その人にとって悩みは「デメリット」ではなく「資源」です。
彼女は悩みを利用する達人なのです。
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芸人の「美味しい」という感覚
お笑い芸人が災難や不幸に見舞われたとき、「美味しい」と感じることがあります。
普通の人なら落ち込むところを、彼らはネタとして利用し、笑いに変える。
つまり彼らも、悩みを苦しみではなく「素材」として扱う訓練を積んでいるのです。
この構造は、私の哲学とまったく同じです。
「悩みを否定せず、利用し、味わう」。
そうすれば、悩みは敵ではなく、むしろ味方になります。
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悩みがない人間の孤独
ただし、私のように“悩みそのものが存在しない”人間には、別の問題があります。
それは「人と話すときの話題がない」ということです。
たとえば飲み会で、久しぶりに友人と飲み会をしたとき。
私は正直に言います。
> 「久しぶり。僕は相変わらず悩みがなく、とても幸福だよ。」
……この瞬間、私のターンは終了します。
そして、その後、二度と私のターンは回ってきません。
なぜなら「悩みがない」という話題は、会話の終着点だからです。
多くの人にとって、悩みこそが共感の入り口であり、
それを持たない人間は、会話のフィールドから外れてしまうのです。
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それでも問う人がいれば
とはいえ、もしその場で誰かが私に興味を持ち、
「どうしてそんなに悩まないの?」と尋ねてくれるなら、
その人はとても楽しい答えを聞くことができます。
私は、努力して悩まないようにしているわけではありません。
ただ、それが自然なのです。
つまり、私にとっての幸福は「行動」でも「努力」でもなく、
生理現象のように、ただそこにあるのです。
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終わりに
悩みをなくそうとするのではなく、悩みを味わう。
それが、人間として最も自然で、最も自由な生き方なのだと思います。
悩みがある人も、ない人も、
どちらも等しく人生を味わっている。
大切なのは、
その瞬間をどう「感じるか」なのです。
悩みを「やめる」ではなく、「味わう」という生き方
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