現代人の食卓には、いつの間にか「刺激」が当たり前のように居座っている。
辛さ、痺れ、刺激——。それらはまるで“生きている感覚”を取り戻すかのように、
多くの人に快感を与えている。
だが私は思う。
香辛料とは、現代人が抱えるストレスを一時的に麻痺させる道具にすぎない。
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■ 痛みを快楽と錯覚する構造
香辛料の刺激は、実は“味覚”ではなく“痛覚”だ。
それを「美味しい」と感じるのは、脳内でアドレナリンやエンドルフィンが分泌され、
一瞬の高揚感を生み出しているからに過ぎない。
これはリストカットや過剰な運動と同じ構造だ。
**「別の痛みを与えることで、ストレスを上書きする」**という行為。
一時的な解放感があるだけで、根本的なストレスの総量は変化しない。
しかも、刺激に慣れていくと、より強い刺激を求めるようになる。
やがて本来の食材の味すら感じ取れなくなり、
「刺激がないと満足できない舌」ができあがる。
まさに、合法的な依存の形だ。
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■ 不可視のリストカット
香辛料がリストカットと違うのは、跡が残らないという点だ。
社会的に許容され、むしろ「食文化」や「健康的」と称される。
だがその本質は、同じく“痛みによる自己麻酔”。
つまり香辛料とは、
**「社会が推奨する自己破壊」**である。
誰もが日常の中で軽度の自己傷害を行いながら、
それを「スパイス好き」と呼んでいるだけなのだ。
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■ 科学的にも、身体に良くない
科学的に見ても、香辛料は「身体に良い」とは言い難い。
カプサイシンは胃粘膜を刺激し、胃酸過多や炎症を引き起こす。
神経を強制的に興奮させ、ドーパミンを放出することで快楽を作るが、
それは神経疲労と感覚鈍化の始まりでもある。
短期的には「スッキリ」しても、
長期的には「身体が疲弊し、感覚が壊れる」。
要するに、香辛料とは幸福の前借りなのだ。
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■ そもそも、自然界にないもの
香辛料の多くは熱帯地方の植物であり、
本来、温帯に暮らす人間が“そこら辺で採れるもの”ではない。
自然界に存在しないものを、わざわざ輸送してまで摂る。
その時点で、人間の身体が本来想定していない行為である。
人間は「その土地で得られるもの」で最適化されている。
であれば、香辛料は生態的にも不要だ。
自然の外から持ち込まれた刺激は、
身体だけでなく、心までも不自然にしてしまう。
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■ 結論:幸福の本質は刺激ではない
香辛料は、もはや食の一部ではなく「文明の副作用」である。
ストレスを誤魔化すための一時的な痛み、
幸福の代用品、感覚の破壊者。
そしてそれは、
「今あるものに満足できない人間の象徴」でもある。
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🔚 最後に
> どう言い訳しても、香辛料は不要である。
香辛料を否定することは、
刺激に頼らず“今ここ”の味を感じ取ることでもある。
静かな味覚こそ、本物の幸福を教えてくれる。
🌶️ 香辛料は不要である。という論理を展開する。
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