私たちは「欲」という言葉を聞くと、どこか“よくないもの”のように感じがちです。
「欲を抑えるべき」「欲に流されるな」などと、子どもの頃から教えられてきた人も多いでしょう。
しかし本来、欲は悪ではなく、神聖な恵みだと私は考えています。
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欲はすべて「幸福へのフラグ」
食欲・睡眠欲・排泄欲・性欲。
これらはどれも、生きるうえで欠かせないものです。
そしてどの欲も、満たされるときに快感・高揚感・幸福感をもたらします。
であるならば、欲とは「苦しみを生むもの」ではなく、
**幸福を感じるための付箋(フラグ)**ではないでしょうか。
大いなる存在が、私たちに幸福を与えるために、
その“入口”として欲を最適に配置している。
そんなふうに考えると、とても美しい構図が見えてきます。
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「満たす」という自然な循環
多くの人は「欲を処理する」「抑える」と言います。
しかし“処理する”という言葉には、「不要なものを片づける」という響きがあります。
私はむしろ、すべての欲は満たされてこそ循環が完了すると考えています。
食べることで心身を満たし、眠ることで回復し、排泄によって軽さを得る。
これらはどれも、「満たされた」ときに幸福感が生まれる行為です。
つまり、欲を満たすことは“生きること”そのもの。
それはけっして恥ずかしいことでも、汚いことでもなく、
生命の営みとしての神聖な行為なのです。
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欲は神のデザイン
私たちの体と心は、幸福へ導かれるように精密に設計されています。
欲があるからこそ、私たちは食べ、眠り、浄化し、愛し合い、
そのたびに「生きる喜び」を体験します。
それは偶然ではありません。
欲とは、幸福へ導くために神が仕掛けたプログラムのようなものです。
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欲を否定するのではなく、調和させる
大切なのは、欲を抑え込むことではなく、
欲と調和して生きることです。
欲を通して自分の内側にある自然のリズムを感じ、
その瞬間瞬間を味わうこと。
それこそが、本当の幸福の在り方だと私は思います。
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終わりに
「欲」とは、人間の弱点ではありません。
それは大いなる存在が私たちに与えた、幸福への導きです。
生きるとは、欲を満たしながら、幸福の形を確かめ続けること。
そしてその繰り返しの中で、
私たちは“生きるという奇跡”を味わっているのだと思います。
欲は「神聖な恵み」──幸福へ導く設計図
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