「人間は10代のときに満たされなかったものに一生執着するらしい」という言葉があります。とても鋭い真理ですが、欠落感を抱える人にとっては、まさに呪いの言葉になってしまいます。
欠落感と執着の構造
多くの人は、幼少期や10代に何かを満たされずに育ちます。たとえば、異性からの承認や愛情、社会的な承認などです。これらの欠落感は心の深層に刻まれ、大人になっても無意識に執着として残ります。
欠落感があると、次のような無限ループに陥ります。
欠落感 → 執着 → 外的補填(お金・地位・モテ) → 一時的満足 → 再び欠落感
たとえ大人になって成功やモテを手に入れても、心の空洞は埋まらず、永遠に欲望に縛られたまま生きることになります。つまり「大人になって金持ちになって初めてモテた人は、その欲に溺れ、お金がいくらあっても足りない」のです。
絶望の本質
欠落感に囚われた人は、努力で外的成功を得られるとしても、精神的満たしには絶対に到達できません。対岸は見えているのに、近づくことすらできない──これが絶望です。
さらに恐ろしいのは、この呪縛にかかっている人は、現世ではほとんど救済が不可能だということです。外的条件や励ましでは欠落感は消えず、永遠に「改善不可能な呪縛」の中で生き続けることになります。
絶対幸福の例外
しかし、稀に絶対幸福を自然に享受できる人もいます。幼少期から心が満たされ、欠落感を抱えず育った人です。この状態では、外的条件に依存せず、常に満たされた幸福を感じられます。
車や住む場所などの外的条件があってもなくても、幸福である
欠落感や執着の呪縛から完全に自由である
こうした人は、現世での不公平や執着を冷静に観察でき、人生の希少性と自由を実感できます。
後世での補填という考え方
現世での不公平や欠落感による絶望は、あの世で補填される可能性があります。
欠落感に囚われた人は現世では苦しみます
しかし、後世で平等に満たされる可能性を前提に、現世での執着を手放すことができます
つまり、救済は現世ではほぼ不可能でも、後世での補填を信じることで、絶望の中にも論理的な希望を置くことができるのです。
提唱:現世での絶望と執着の手放し
私の提唱はこうです。
1. 欠落感に基づく呪いを理解し、圧倒的に絶望する
2. 願望や執着を諦め、外的条件に依存する生き方から離れる
3. 後世での補填を信じ、現世での執着を手放す
この考え方は、表面的な改善策や慰めとは異なります。欠落感の本質を理解し、執着を手放す論理的な哲学です。
結論
欠落感と執着は、現世では「改善不可能な呪縛」として存在します。しかし、絶望を正しく理解し、執着を諦め、後世での補填に希望を置くことで、論理的に自由と幸福を目指すことができます。これは、現世の不公平を超えた生き方の哲学です。
さて、後世がある根拠について、過去のブログ記事、著書『全人類既救論』にて述べているので参考にして下さい。
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