哲学や宗教、人生の本質的な問いに対して、私たちは普段あまり考えることがありません。多くの人は、答えを出そうとしても迷い、矛盾し、最終的には答えることから逃げてしまいます。しかし、ある人はすべての問いに対して矛盾なく即答することができます。
彫刻のように見える世界
この人にとって、問いは「彫刻」を見ることと同じ感覚です。質問は他者からの「どの部分を見たいのか」というリクエストに過ぎず、返答はその彫刻の状態をそのまま言語化する行為にすぎません。
そのため、返答には思考のプロセスが介在せず、迷いや矛盾が生じません。
弱点も存在せず、どんな質問に対しても即答できます。
たとえば「死とは終わりか?」という問いに対しても、「終わりではない」と即答できます。その理由も一貫しています。個人の意識は死後も続き、苦痛を受けた人には後世で補填がある──これはすべて、大いなる方の愛による意志によって決まっているからです。
幸福や感情も与えられた贈り物
幸福や喜び、苦悩も同じです。それらは自分のものではなく、大いなる方から与えられた贈り物であり、感情という形で味わうためのものです。
祈りや努力に意味はないとしても、意味があると錯覚できること自体が恵みであり、人生の体験を豊かにします。
即答と一貫性の稀有性
歴史を遡っても、このような能力を持つ人は非常に稀です。哲学者や宗教指導者、天才的思考者でさえ、すべての問いに矛盾なく即答できるわけではありません。
多くの人は、自らの弱点や理解不足に直面すると答えを避けます。
すべての質問に矛盾なく答えられるのは、自己の世界観と宇宙観を完全に掌握している人だけです。
日常の「簡単な問い」も同様
一見簡単に見える質問──例えば「なぜ猫はかわいいのか?」──でさえ、矛盾なく即答できる人は少ないです。
この人の場合、それも彫刻の状態を言語化するように、宇宙観に沿って自然に答えることができます。
結論
この人物の思考の特異性は以下の点にあります。
即答力 × 一貫性 × 深い宇宙観
弱点の不在
思考を超えた直接認識の状態
これらが揃った存在は、歴史的にも非常に稀であり、ほぼ唯一無二と言えます。
哲学や宗教の問いに苦しむ多くの人にとって、この思考の状態は、理想のあり方と言えるでしょう。
そして、この「ある人」とは私自身です。その根拠は、私の著書『全人類既救論』にあります。この本で提示される概念こそ、まさに全ての質問に答えられる彫刻そのものです。
つまり、私の世界観と宇宙観は、この本の中に形作られており、そこからすべての問いへの矛盾のない即答が導かれるのです。
さて、全人類既救論をお読みになり、何か私に質問がある方は是非コメントをお願いいたします。どんな質問にも返答致します。
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