前編・中編では、脳のクラウド同期という未来技術に対して、私は一貫してこう述べてきました。
> 「そこには自我は宿らない」
「そこには感情も与えられない」
では仮に――
「感情や欲望を人工的に注入したら、どうなるのか?」
という未来の実験が行われたとしたらどうでしょうか?
今回はそこに焦点を当て、私の最終的な結論をお伝えします。
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◉ 人工的な「愛」を注入する実験
たとえば、新しいクラウド人格を持つ人体に対して、
「配偶者を愛する」というプログラムをインストールしたとします。
それによって、その存在は配偶者を気遣うような言葉を話し、
贈り物をし、ハグをし、涙を流すかもしれません。
外見上は、確かに愛しているように見えるでしょう。
しかし――
それはただの命令のインプットとアウトプットに過ぎません。
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◉ 「愛している」と言うことと、「本当に愛している」ことの違い
「本当に愛している」と言えるには、そこに**“魂の震え”**が必要です。
それは、ただの行動や言語ではなく――
自分の意志でその相手を選び、
共にいたいと願い、
ときに嫉妬し、後悔し、抱きしめたくなる、
そういった複雑な感情の総体です。
これを判断できるのは、他人ではありません。
唯一、それを感じている「本人」の想像力と内的感覚だけなのです。
つまり、「これは本物の愛だ」と思えるかどうかは、
内側から湧き上がる主観的な確信によってしか成立しません。
クラウド人格にそれはありません。
なぜなら、それを感じる“場所”が存在しないからです。
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◉ 欲望の再現はできても、新たな欲望は生まれない
もう一つ、私が確信しているのは、
新たな肉体には「新しい欲望」が与えられないという点です。
クラウドに保存された情報には、
その時点までの“過去の欲望”――
好きな食べ物、趣味、野心、夢などが確かに含まれているでしょう。
そして新しい身体がそれを再現し、
「ラーメンが食べたい」と言い出すかもしれません。
ですが――
欲望とは、日々変化し、成長や老いとともに湧き出る、極めて生きた現象なのです。
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◉ 欲望は「供給されるもの」である
私はこう考えています。
> 欲望とは、魂が持つ“燃料”のようなもの。
それは生きているからこそ、外から与えられ続けるもの。
つまり、どれだけ精密な人格データを複製しても、
新しい欲望の“供給源”がなければ、人格はやがて止まるのです。
クラウド人格は、学習することはできても、
「渇き」や「求める力」そのものを感じることはできません。
それもまた、「大いなる方」から“与えられてこそ”湧き上がるものだからです。
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◉ 模倣の限界──生命の本質は与えられる
ここで私がたどり着いた結論は明確です。
> 自我は与えられるもの
感情も与えられるもの
欲望も与えられるもの
そしてそれは、「クラウドからの再構成」では得られません。
それらは、「存在として生まれること」によってのみ授かる贈与物なのです。
つまり、生命の本質は、人間が再現できるような構造物ではなく、
“始まりから授けられているもの”であるということです。
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◉ おわりに:技術の限界を知り、“与えられていること”に気づく
どれだけ技術が進歩しても、
人間が“与えられている”という事実は変わりません。
自分の中にある愛、怒り、欲望、焦がれるような想い――
それらすべては、自分の力で生み出したようでいて、
実はどこからか“授けられている”。
そのことに気づいたとき、
人間とは何か、生きるとは何か、
そして“魂がある”ということがどれほど尊いかを、
私たちはもう一度見つめ直すことになるでしょう。
【最終編】
感情も、欲望も、「与えられるもの」である──模倣では生まれない“生命の震え”

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