第12章 他人を変えずに、世界が変わる

誰も変えず、何も直さず、それでも世界が優しくなる。それは内側の“気づき”によって始まる。

「この人が変わってくれたら」
「もっと優しくしてくれれば」
「社会がもっとまともなら」
そんな願いを、私たちは日常のなかで幾度となく抱きます。

けれど、現実はなかなか変わりません。
思い通りにいかない人、理不尽なルール、冷たい社会の空気。
変わってほしいと願えば願うほど、苦しみは深まっていくようにも感じられます。

しかし、この章ではこう問いかけます。

「本当に、他人や社会が変わらなければ、幸せにはなれないのでしょうか?」

結論から言えば、答えはNOです。

外の世界がまったく変わらなくても、
私たちの内側の視点が変われば、現実の感じ方は大きく変わるのです。

たとえば、嫌いだった人を「かわいそうな人なのかもしれない」と捉えなおせた瞬間。
その人の言動が、前ほど刺さらなくなったことはありませんか?

あるいは、腹立たしい出来事を「これも成長の機会かもしれない」と受け取れたとき。
心のざわめきが、ふっと和らいだことはないでしょうか?

これは気の持ちようの話ではなく、
**「見方が変わることで、世界の質そのものが変わってしまう」**という
極めて本質的な変化なのです。

他人は変わらない。社会も変わらない。
でも、わたしの視点が変われば、
同じ現実が、まるで違う色を帯びて見えはじめる。

この変化は、誰かを説得したり、教育したりするよりもずっと早く、深く、確実です。
なぜなら、変えようとしている相手は「外」ではなく「内」だからです。

この「内側の気づき」が進んでいくと、やがて不思議な現象が起こりはじめます。
他人を裁かなくなったとき、他人からも裁かれにくくなり、
争いを望まなくなったとき、争いが自然と距離を置くようになります。

まるで世界のほうが、こちらの変化に応答してくるかのように。

ここに、「何も直さず、誰も変えず、それでも世界が優しくなる」ための秘密があります。
それは**“わたしの視点”こそが、世界の見え方を決定していた**ということ。

すべての人や出来事が、何かを気づかせるための役割を果たしているとしたら、
もう誰かを変えたいとは思わなくなるのです。
そのままでいい。ただ、わたしが見え方を変えればいい。

これが、内なる気づきがもたらす、真の自由であり、癒しです。

そしていつか気づくのです。
世界が優しくなったのではなく、わたしが世界を優しく見られるようになっただけだった――と。

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