第11章 幸福とはなにか

幸福とは、目の前を「受け入れる力」のこと。条件や成果ではない、“無敵状態”への回帰の道筋を示す。

幸福とは何でしょうか。
大切な人と過ごせる時間でしょうか。
目標を達成した瞬間でしょうか。
欲しかった物を手に入れたときの喜びでしょうか。

多くの人が、何かを「得ること」や「達成すること」の中に幸福を求めます。
けれど、それは一時的な高揚に過ぎないことを、私たちは経験を通して知っています。
次第に慣れ、物足りなくなり、また別の幸福を追い求める――
この循環は、どこかで終わりがくるのでしょうか?

この章で語る「幸福」とは、
条件や成果に左右されない、揺るがない状態のことです。

それは言い換えれば、
目の前にある現実を“受け入れる力”そのものです。

現実がどんなに不完全に見えても、思い通りでなくても、
それを「これで良かった」と受け取れる感性。
悲しみさえ、「必要な悲しみ」として抱きしめられる心。
この境地にこそ、真の幸福は宿ります。

つまり、幸福は“起きた出来事”ではなく、
出来事への姿勢・応答の中にあるのです。

幼い頃、何も知らず、何も持たず、ただ目の前を楽しんでいた時期がありました。
そのとき私たちは、比較も不安も知らず、ただ今を感じていた。
それこそが“無敵状態”と呼ぶべき、本来の人間の姿です。

この教義の本質は、そこへの回帰にあります。

大人になるにつれて私たちは、知識を得て、ルールを覚え、
「こうでなければならない」という幻想に絡め取られていきます。
その結果、ありのままの世界を肯定できなくなり、
幸福が“遠くにあるもの”のように思えてしまうのです。

しかし本当は、幸福とはどこかにあるものではなく、いつでもここにあるもの。
それに気づけるかどうかは、「受け入れる力」があるかどうかだけです。

「この状況でさえ、祝福かもしれない」
「この出会いも、この別れも、意味があるのかもしれない」
そう信じる力が、私たちの内側に育っていけば、
もはや外側の条件に幸福を委ねる必要はなくなります。

幸福とは、すでにあるものを、
「それでいい」と受け入れる心の技術です。

この章が導きたいのは、
“幸福は選べる”という気づき。
そしてその鍵が、「受け入れ」にあるという明快な理解です。

無敵だったあの頃に戻る旅とは、
幸福を追う旅ではなく、幸福を思い出す旅。
そう、本当はずっと、私たちの手の中にあったのです。

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