幸福とは何でしょうか。
大切な人と過ごせる時間でしょうか。
目標を達成した瞬間でしょうか。
欲しかった物を手に入れたときの喜びでしょうか。
多くの人が、何かを「得ること」や「達成すること」の中に幸福を求めます。
けれど、それは一時的な高揚に過ぎないことを、私たちは経験を通して知っています。
次第に慣れ、物足りなくなり、また別の幸福を追い求める――
この循環は、どこかで終わりがくるのでしょうか?
この章で語る「幸福」とは、
条件や成果に左右されない、揺るがない状態のことです。
それは言い換えれば、
目の前にある現実を“受け入れる力”そのものです。
現実がどんなに不完全に見えても、思い通りでなくても、
それを「これで良かった」と受け取れる感性。
悲しみさえ、「必要な悲しみ」として抱きしめられる心。
この境地にこそ、真の幸福は宿ります。
つまり、幸福は“起きた出来事”ではなく、
出来事への姿勢・応答の中にあるのです。
幼い頃、何も知らず、何も持たず、ただ目の前を楽しんでいた時期がありました。
そのとき私たちは、比較も不安も知らず、ただ今を感じていた。
それこそが“無敵状態”と呼ぶべき、本来の人間の姿です。
この教義の本質は、そこへの回帰にあります。
大人になるにつれて私たちは、知識を得て、ルールを覚え、
「こうでなければならない」という幻想に絡め取られていきます。
その結果、ありのままの世界を肯定できなくなり、
幸福が“遠くにあるもの”のように思えてしまうのです。
しかし本当は、幸福とはどこかにあるものではなく、いつでもここにあるもの。
それに気づけるかどうかは、「受け入れる力」があるかどうかだけです。
「この状況でさえ、祝福かもしれない」
「この出会いも、この別れも、意味があるのかもしれない」
そう信じる力が、私たちの内側に育っていけば、
もはや外側の条件に幸福を委ねる必要はなくなります。
幸福とは、すでにあるものを、
「それでいい」と受け入れる心の技術です。
この章が導きたいのは、
“幸福は選べる”という気づき。
そしてその鍵が、「受け入れ」にあるという明快な理解です。
無敵だったあの頃に戻る旅とは、
幸福を追う旅ではなく、幸福を思い出す旅。
そう、本当はずっと、私たちの手の中にあったのです。
第11章 幸福とはなにか
幸福とは、目の前を「受け入れる力」のこと。条件や成果ではない、“無敵状態”への回帰の道筋を示す。

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