2025-06

未分類

【錯覚的自由論・第3章】

忙しい現代人への静かな提案:

―感情を“味わう”という本当の自由―

私たちは今、 「感じる前に動く」 「動いたことを記録する」 「次の目的地へ急ぐ」そんな連続の中で生きています。もはやそれは本能ですらなく、習慣になっています。しかし、感情は与えられているのです。たとえ1秒でも、美しい景色を見たとき、 好きな...
未分類

【第二部:錯覚的自由論】〜感情とはどこからきたのか〜

私たちの選択は、しばしば「直感で決めた」「気分で選んだ」「なんとなくそう思った」と説明されます。けれど、それは説明にはなっていません。単に、言葉にできない「何か」によって決まったと述べているだけです。---では、その「何か」とは?それこそが...
未分類

【第一部:錯覚的自由論】

「あなたが選んだその行動は、本当に“自由意志”によるものだったのか?」

さて、人が自由と思ってるものは錯覚である、という概念について実験を行いたいと思います。今、このブログを読んでいるあなた自身が被験者です。さあ、今から次の5つの行動のうち、自由に1つを選んで実行してください。---【選択肢】飲み物をひと口飲む...
未分類

錯覚的自由論・続編

『あの日、カントに何が起きたのか?』

カント。彼は世界的な哲学者であり、理性と道徳の体系を極限まで高めた人物です。 毎日決まった時間に散歩を欠かさなかったという有名な逸話からも、 彼の生き方がどれほど律されたものであったかがうかがえます。しかしそのカントが、ある日── 読書に夢...
未分類

錯覚の中にこそ、自由の香りがある

〜カントと錯覚的自由論〜

かつて、ドイツの哲学者イマヌエル・カントは、理性と道徳を柱に据え、人間には「自由意志」があると説いた人物です。彼の名は、正確すぎる生活リズムでも知られています。毎日同じ時間に散歩に出かける。まるで時計の針のように正確に。それは彼が自らの意志...
未分類

【最愛の人を殺されたあなたへ】

――許さなくていい。その怒りはあなたの愛の証です。

あなたは今、計り知れないほどの悲しみと怒りの中にいるかもしれません。愛する人の命が理不尽に奪われた現実は、言葉では表現し尽くせない苦しみをもたらします。そして世の中には、「犯人を許しましょう」「憎しみを手放せば救われます」と、あなたの心に土...
未分類

番外編:ある重罪人との対話

—全人類既救論の実例として—

ある日、刑期を終えた一人の男が、宗教指導者のもとを訪ねました。> 「私は罰を受けてきました。どうしたら、私の魂は救われるのでしょうか?」宗教指導者は答えました。> 「ではまず、神に悔い改めなさい。その上で今日からこの聖典を読み、私に給料の1...
未分類

あとがき

この書をここまで読み進めてくださった方へ、
深い感謝を捧げます。

あなたがこの本を読み終えたという事実は、すでに「最善である」という真理を、どこかで受け取る準備が整っていたという証です。---この本に書かれたことの多くは、決して“新しい思想”ではありません。むしろ、誰もが人生のどこかで薄々感じていたこと―...
未分類

最終章 すべては最善である

どんな出来事も、どんな過去も、すべては最善だった。感じるに足る論理と感覚で、その真理を結ぶ。

ここまで読み進めてくださった方なら、もはや「すべては最善である」という言葉に、安易な慰めや空虚な理想を感じることはないでしょう。これはただの希望的観測ではありません。厳しい現実の中で、それでも人がなお生きる理由。混沌の中に秘められた秩序、そ...
未分類

第14章 無敵だったあの頃に還る
赤子のような無垢な安心感。傷つかず、恐れず、ただ在るだけでよかったあの無敵さを再び取り戻す。

私たちは、生まれた瞬間、すでに「完成された存在」でした。赤子には、他人と比べて落ち込む心もなく、未来を恐れて身動きが取れなくなることもありません。「ただ、ここにいる」――それだけで完全だったのです。泣きたいときに泣き、眠たいときに眠り、自分...