💴 お金はあればあるほど良い

〜限界効用理論は崩壊し「創造的自由理論」へ〜

◆ 前提として

まず最初に、はっきりとお伝えしておきます。
僕は「お金持ち」ではありません。
資産が何十億もあるわけでもないし、タワマンの最上階に住んでいるわけでもありません。

しかし、それでも僕は今、**「お金は必要ではないフェーズ」**にいます。
つまり、「お金がなければ不安」「欲しいものを我慢する毎日」ではなく、
最低限の自由と安心の中で日々を生き、選択肢に縛られていない感覚を得ているのです。

この立場に立って、今日のテーマを語ります。




◆ 限界効用理論への違和感

経済学では「お金による幸福度は、ある程度を超えると頭打ちになる」とされています。
この考え方は一理あります。たしかに、

ステーキは1万円を超えれば味の差は小さい

ブランドバッグを20個持っても、感動は続かない


こうした 「消費」による喜び は、確かに限界効用の通りでしょう。

しかし——。

僕が言いたいのは、お金の価値は”消費”にとどまらないということです。

お金は、創造的自由を手に入れるチケットなのです。




◆ 例:アーティストのライブ

たとえば、あなたが好きなアーティストのライブがあるとしましょう。

お金がない人 → 無料のYouTubeライブで観る

ある程度ある人 → チケットを買って現地で観る

超富裕層 → ライブを自分で主催し、アーティストを呼び、打ち上げにまで同席


どれが1番幸せか?
それは目的によるでしょう。

でも、3番目の人は「1・2番も自由に選べるし、それ以上の選択肢も持っている」

つまり、お金が多いほど選択肢が増える。
幸福とは「選べる自由」の総量だとしたら、そこには明確な差があるはずです。




◆ お金持ちじゃない僕が語る葛藤

ここで、正直に打ち明けたいことがあります。

「じゃあ、お前はお金持ちなのか?」

そう聞かれれば、繰り返しますが違います。
だから、この話をブログで語ることに対して、正直な葛藤がありました。

「そんな立場で語るのは説得力がないんじゃないか」
「自分がまだそこまで自由じゃないのに、自由について語っていいのか」

——でも、僕はこう考えるようになりました。

> “まだそこにいないからこそ、語る意味がある。”



僕は、お金を創造的自由の道具として捉え始めたその視点こそが、 実際の金額以上に貴重だと思っています。

そして、その考え方こそが、これからの経済観や幸福観を変える鍵になるかもしれない。




◆ 創造的自由理論とは?

このブログで提案したいのは、

> お金は創造のための自由を拡張する道具である。



という考え方です。

限界効用理論が言う「消費の喜びは飽和する」というのは正しい。
でも、「創造の自由」は飽和しない。むしろ、

> 自由とは、選択肢を持てること。そして選択肢の総量は、お金によって大きく変わる。



という意味で、

> お金はあればあるほど、創造的自由を手に入れられる。



それが僕の主張する「創造的自由理論」です。




◆ 最後に

お金の話は、どうしても現実的で生々しい。
でも、そこにある「哲学」や「思想」まで考え抜くことができれば、 見えてくる世界はまるで変わります。

僕自身がまだ道の途中だからこそ、今の思考をこうして記録しておきたい。

そして、いつかもっと自由になったときに、 「この考え方があったからここまで来れた」と振り返る未来の自分へ。

それが今日、この文章を書いた理由です。

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