災害が起きると、ニュースでは必ず避難所の様子が報じられます。しかし、ちょっと気になりませんか?報道される避難所の声は、なぜか不便や不満ばかりです。
「食事が足りない」「プライバシーがない」「長時間待たされた」――そんな声が中心で、
本来存在するはずの、**『無労働で食事と寝床を与えられ、安全が保証されて幸福』**という声は、ほとんど報じられません。
幸福を感じる人は確実に存在する
実際、避難所で安心して休める人もいます。
特に普段、死ぬほど働いている人にとって、避難所での強制的な休息は天国のような幸福です。
労働からの解放
身体の回復
心の休息
こうした「ありがたい」と感じる人々は、少なくとも2〜3割程度存在すると考えられます。
しかし、ニュースではほぼ語られません。
では、なぜ報道は幸福な声を無視するのか?
理由は、単なる編集の偏りだけではありません。人間心理と視聴率の論理を考えると、非常に納得がいきます。
1. 視聴者は、他人の不幸を見ることで無意識に安心感や優越感を得る。
2. 避難所ニュースを観る人は、心のどこかで「大変そうだ」「可哀想だ」と思う声を期待している。
3. もしニュースで「避難所で幸福です」と答える人ばかり映されると、その期待が裏切られ、視聴者は不快になる。
4. 結果として、「次回もこの番組を見たい」という気持ちが削がれるため、ニュース番組側は意図的に不幸な声を選ぶ必要がある。
つまり、避難所報道の偏向は編集者の恣意性ではなく、視聴者心理と視聴率維持の必然によって生まれる現象なのです。
まとめ:避難所は大変だけど、ニュースはさらに偏っている
避難所は確かに大変な場所です。しかし、同時に命が守られ、最低限の生活が保証される“天国”のような場所でもあります。
ニュースがそれを報じない理由は、視聴者心理と視聴率の論理によるもので、報道の誠実さを欠く構造的な問題です。
次に避難所のニュースを見るときは、少し想像してみてください。
> 無労働で食事と寝床を与えられ、命が守られている幸福を感じている人も確実に存在する――と。
ニュースはその声をほとんど映さないけれど、現実には確実に存在しているのです。
避難所報道の不誠実さと人間心理の闇
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