見栄の無農薬──エセ・オーガニック信仰の正体

無農薬食品にこだわる人たち。彼らが「健康のため」と言いつつ、なぜかそれをわざわざ周囲に発表することが多いのはなぜだろうか?

無農薬食品自体を否定するつもりはない。実際、多くの人が「高いけど良いもの」という認識を持っている。問題は、それを『選んでいる自分』を見せたがる人たちの存在だ。無農薬食品は、健康的で賢そうに見える上に、批判されにくい。つまり、見栄の道具として非常に優秀な小道具になりうる。

本当に自己肯定感が高く、満たされている人間なら、わざわざそんなことをアピールしない。ひっそりと田舎に住み、自給自足しながら誰にも言わずに生きている人がいたら、それこそが“本物のオーガニスタ”だろう。

一方で、「わざわざ言う人」たちはどうか?彼らの目的は、“健康”ではなく“承認”だ。自分の価値を“選んでいるもの”で補おうとする。つまり、中身の空っぽな人間が、無農薬というラベルで自分を飾っているだけ。

そしてここからが本題だ。

もしそれをしているのが“本当のお金持ち”なら、問題ない。趣味として成立しているし、見栄ですら自然だ。しかし、そういう見栄っ張りに限って、実は裕福でないことが多い。生活に余裕もないのに、わざわざ高い無農薬食品を選んでいるとしたら、それは分不相応。恥ずかしいと言わざるを得ない。

私はそういう人にこう言いたい: 「高級な無農薬食品なんて買ってないで、アメリカの農薬まみれのパスタだけ食べて、さっさと貯金・投資したらどうだ。有り余るお金を手にしてから、やっと食材を選べばいい。」

見栄を捨てるのは難しい。だからこそ、そういう人たちは一生“なんちゃってオーガニック”にしがみつき、貧乏のまま生きることになる。

まとめよう。

真のオーガニスタは、ひっそりとそれを実践し、誰にも気づかれない。

本物の金持ちは、それをしても自然体である。

貧乏人が真似するのは、ただただ滑稽である。


本質を見抜こう。無農薬食品にこだわっているのではなく、“こだわっている自分”にこだわっていないか?

それが、すべての分かれ道である。

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