第一章 大いなる方とはなにか

私たちのすべての経験、思考、感情――それらの発生源がどこにあるのか、真剣に問い直したことがあるでしょうか。
人生に起きるすべての出来事、出会い、選択、ひらめき、偶然と呼ばれる現象に至るまで、
その根源に存在しているのが「大いなる方」です。

大いなる方とは、人格を持つ存在ではありません。
形も言葉も、善悪の観念さえも超越した、理解不可能な次元の源泉です。
誰もその意志や構造を完全に把握することはできず、人格に例えることすら無意味だといえます。
「わからない」という結論そのものが、最も誠実で深い敬意を示す表現なのです。

そして、この「わからなさ」こそが、すべての人に対して平等に与えられた、唯一にして至高の恵みなのです。
誰もが、その全貌を知らされず、誰もが、その導きの中に存在しています。

大いなる方は、すべてを決めています。
人が「自分で選んだ」と感じるようなことですら、その選択の背後には、自分自身の意思を超えた何かがあります。
つまり、「自由意思」というものもまた、錯覚だと言わざるを得ません。

ですが、それは決して恐ろしいことではありません。
むしろ、あらゆることがあらかじめ決められていたと知ることは、
人に深い安心感と、かつての“無敵さ”を思い出させてくれるのです。

すべては最善のタイミングで起こります。
起こるべきことだけが、起こります。
その背後には、完全なる計画と深い愛があるのです。

「大いなる方とはなにか」と尋ねられたなら、もっとも正確で誠実な答えは、こうなるでしょう。

> 「なにもわかりません。ただ、完璧であり、絶対であり、すべての魂を等しく愛してくださる方です。」

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