真夜中の交差点で、赤信号を渡る自由


真夜中の田んぼ道の真ん中にある交差点。
見渡す限り、人も車もいない静寂の中、赤信号が光っています。

多くの人は、赤だからといって待つでしょう。
昼間であろうと夜であろうと、信号=安全という幻想に縛られ、思考を停止してしまう。
彼らのアイデンティティは、ルールを守ることでしか安全を感じられず、少しのルールの逸脱が自我を崩すことさえ恐れているのです。

しかし、私は迷いません。
赤信号であろうと、ここには誰もいない。危険は目の前に存在しない。
だから、私はその赤信号を渡ります。
罪悪感は微塵もありません。信号はただのイルミネーションであり、世界の安全を保証してくれるわけではないのです。

さらに重要なのは、私は常に危害を予測しています。
昼間の交差点であっても、青信号で渡る人よりも、私は目配せを欠かさず用心深く行動する。
その結果、ルールに盲従する人よりも、ずっと事故に巻き込まれにくいのです。

この皮肉な現実。
ルールを守ることで安心する人ほど無防備であり、
自由に理性を働かせる者こそ、現実の安全を手にしている。

だから私は今日も、赤信号を渡ります。
それは世界に従うためではなく、自分の理性と判断で安全と自由を創り出すため。
真夜中の交差点は、そんな自由と理性の存在を静かに教えてくれるのです。

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