ある日、目が覚めると、夢の中でとてつもないアイデアを渡されていた。
言葉ではうまく説明できないが、それは「圧倒的な何か」だった。
僕は起きるやいなや、
食事も忘れ、スマホも触らず、誰とも話さず、
あらゆる生理的・精神的欲求による行動を無視して、
ただそれが整うまで、やり続けた。
何かに「突き動かされている」としか言いようがなかった。
ではこの状態は、よく言われる「欲望」なのだろうか?
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欲望とは何か?一般的な定義
まず、一般的に「欲望」とは、自己の不足を満たそうとする感情や衝動とされています。
食欲、名誉欲、金銭欲などがこれに当たります。これらは、自我を中心に据えた「欠乏感」や「快楽の追求」に起因するものです。
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降ってきたアイデアへの行動は「欲望」か?
しかし、発明家や思想家がアイデアを「整えなければならない」という精神状態は、これらの欲望とは明確に異なります。彼らは、
自らの意志以上の「呼びかけ」に応答している
生理的欲求や基本的な欲望すら退けてでもその行動を選ぶ
その行動は「自己超越的」であり、個人的な利益や快楽の追求とは無縁である
このように考えると、これらの行動は単なる「欲望」ではなく、むしろ「召命(calling)」や「使命感」に近いものと分類できます。
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欲望と呼べない理由
1. 欲望は生理的・心理的欲求に制約される
通常、欲望に駆られた行動は、食事や休息、他者の目線などによって容易に中断されます。しかし、アイデアの具現化に取り組むときの「やらねばならぬ」感覚は、それらの基本的欲求を凌駕し、むしろ「邪魔」と感じられることさえあります。
2. 「意味すらないのに動かされている」という境地
さらに深く見ると、具現化の衝動は「意味」や「目的」にすら依存しません。
「意味はない」と感じながらも、それを成し遂げずにはいられない衝動――これは「純粋な必然」と言うべき状態です。
3. 「応答」としての行動
この行動は、自我から発せられる欲望ではなく、外部からの呼びかけに対する「応答」です。ヴィクトール・フランクルの言葉を借りれば、人は「意味」に応じて動く存在ですが、ここでは意味さえ超えた存在の呼びかけに応じているのです。
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「通路」であるという自覚
発明家や思想家は、自分が概念がこの世に降り立つための「通路」になっていることを感じています。
彼らはその通路としての役割を担うため、自分の欲望や感情でその流れを「歪ませない」ように、深い畏敬と責任を持ちます。
> 「このアイデアはあまりにも美しい。
だからこそ、自分のわずかな歪みや濁りによって汚してしまいたくない。」
この思いは、欲望ではなく「守りたい純度」なのです。
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まとめ
降ってきたアイデアを形にしようとする行動は、通常の「欲望」とは根本的に異なる
それは自己超越的な「召命」であり、「応答」である
具現化への衝動は、意味や快楽の追求を超えた「純粋な必然」だ
発明家や思想家は、自分を通る「概念の通路」としての役割を自覚し、流れを汚さぬよう畏敬の念を抱く
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このことから、私たちは「欲望」という言葉の枠組みを超え、
人間の行動の根源にある、言葉にしがたい原理と向き合う必要があります。
発明や思想の創造とは、単なる自己のための営みではなく、
世界との協働によって生まれる、一種の“受信”であり、
それを受け取った者だけが背負う静かな責任でもあるのです。
発明家や思想家が降ってきたアイデアを具現化させようと行動するとき、それは欲望と呼べるのか?

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