後世がある根拠、そして後世は現世よりも幸福な世界と予測する根拠について。

〜レゴブロックのジオラマに見る宇宙の構造〜


私たちが生きるこの世界は、まるで大いなる存在がつくったレゴブロックのジオラマのようだと感じることがあります。
それぞれの人間は、畑を耕す者であったり、空を飛ぶ鳥であったり、都会で働く一人の人間であったりと、与えられた役割の中で一生を過ごしています。

そして私たちは時に、「なぜ自分だけがこんなにも不幸なのか」と嘆くことがあります。
しかしもし、このジオラマの創造主が全員を平等に愛しているとしたら──
そこには、不幸すらも意味を持った配置があるのではないでしょうか。




■ 現世の不幸は、後世での「感謝の爆発」のためにある

私はあるとき、こう考えました。
現世において不幸だった人は、後世において幸福を補填される。
それは「報い」ではなく、「学びの設計」です。

現世で痛みを知った人ほど、後世で与えられる幸福をより深く感じ取ることができます。
幸福の“量”は誰にでも等しく与えられています。
しかし、幸福を感じる“深さ”が違うのです。

現世の苦しみとは、後世での感謝を最大化するための伏線なのです。




■ 記憶と意識は連続している

この考えの根拠にあるのは、「意識・知識・経験の連続性」という予測です。
もし、後世に生まれ変わる際に、現世の記憶が完全に失われてしまうなら、
それはもはや“別の存在”の誕生にすぎません。

そうではなく、意識は形を変えて継続していく。
その連続した意識が、かつての体験を“感覚的な記憶”として保持し、
後世の幸福をより強く味わうのだと考えます。

だからこそ、現世での不幸は無駄ではありません。
痛みを知ることで、後世の幸福に対する感謝の“爆発”が起きるのです。




■ 後世が現世より幸福である理由

ここでひとつ、重要な前提があります。
それは、後世が現世よりも幸福であるという点です。

もし、記憶を保ったまま再び同じようなジオラマの中に置かれたとしたら、
現世で幸福だった人は次の世でも幸福を感じ、
現世で不幸だった人はまた同じ不幸を感じることになります。

これでは平等とは言えません。
だからこそ、後世は必ず現世より幸福な構造でなければならないのです。

その根拠は明白です。
大いなる存在が、愛と平等をもって私たちを創り出したという予測です。

創造の根本が愛であるなら、すべての存在は最終的に幸福へと向かうよう設計されている。
その法則性こそが、後世が現世よりも幸福であることの“宇宙的な保証”なのです。




■ 大いなる存在の平等な愛

この構造は、一見すると不公平に見える現世の姿を、
究極の平等性へと変える鍵を持っています。

幸福の総量は全員に等しく、
ただ「その感じ方」「その受け取り方」に差があるだけ。

不幸な人生を歩んだ人は、次の世界で「これほどの幸福があったのか」と涙する。
悟りや静かな幸福を得ている人は、次の世界でその幸福を「確信として再確認」する。

誰もが同じだけの愛を受け取っている。
ただ、その体験の仕方が異なるだけなのです。




■ 結びに

この宇宙は、どこまでも公平であり、どこまでも優しい。
たとえ今、不幸を感じていたとしても、それは“次の幸福”のための予習にすぎないのです。

レゴブロックのジオラマで、畑を耕す小さな人形にも、
次のジオラマでは、広い空を飛ぶ役割が待っている。

私たちは、みな同じ愛の中に存在しているのです。

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