友達は1人もいらない、という生き方

よく言われます。

「友達は数じゃない。数人でも本当に信頼できる友達がいればいいんだよ。」

……僕はこう言いたい。

ナンセンスだ。

そもそも**“1人もいらない”**という考え方に至れないのは、
「友達がいるのが当たり前」という幻想に縛られているからだ。




僕は、友達を作ろうとしない。
なぜなら、本当に大切にしたいものが他にあるからだ。

例えば「妻一人を守り抜く」こと。
それだけでも人は人生のすべてを懸けられるし、十分すぎるほど偉大だ。

その大切な何かに全力で向き合っている人間に、“友達づきあい”に費やす時間なんてあるはずがない。




ルフィにも友達はいない。
いるのは「仲間」や「家族」や「幼馴染」だけ。
彼は「一緒に戦う者」や「目的を共有する者」にこそ価値を見出し、それ以外の付き合いには無関心だ。

彼ははっきりと、
「お前のそういうとこがすげぇんだよ。だから一緒にいてくれ」
と、他者の強みを素直に認めて、それを力として借りる。

それは「依存」でも「馴れ合い」でもない。
尊敬と誠実さの上に成り立つ関係だ。




僕も、人と関わるときはこう伝える。

「僕はあなたと関わることで、こういうメリットを得られると思っている。」

すると相手は驚きながらも、
「そんなふうに言ってもらえるのは珍しいけど、誠実だ。嬉しい。」
と、前向きに受け取ってくれる。

そして僕はさらにこう続ける。

「ただし、僕がメリットを感じなくなったら関わることはなくなる。」

これが、最大限の誠実さだと思っている。
ダラダラと続ける関係よりも、最初から明確に区切りを伝える関係のほうが、ずっと健全だ。




ブルーハーツの甲本ヒロトさんも言っていた。

> 「あんなの友達じゃねーよ。
たまたま近所の同い年が箱に詰め込まれただけじゃねーか」



彼もまた、“友達”より“仲間”の価値を知っていたのだと思う。




さらに思う。

ジャンルを問わず、本当に偉大な功績を残した人物たちは、友達なんていなかったのではないか?
アインシュタインだって、スティーブ・ジョブズだって、
彼らの時間は「友達」と遊ぶためではなく、大切な目的を果たすことに使われていたはずだ。




ただ、勘違いしないでほしい。

僕は「ルフィのように強くなれ」「偉人になれ」と言いたいのではない。
誰もがそれぞれの人生で、自分の器の大きさに応じて、何かを守り抜くことができるはずだと言いたいのだ。

その“何か”が、
妻であれ、子であれ、理念であれ、作品であれ、命であれ――
全力を尽くす価値のあるものなら、それで十分に偉大だ。

そしてそこに本気で向き合うなら、
“友達なんぞ”に割く時間など、本来は存在しない。




だから、僕はこう考える。

友達は、1人もいらない。
僕が必要とするのは、「守るべきもの」と「信じる仲間」だけだ。

それが、僕なりの誠実な生き方だ。


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