創造受容力 ― 悲劇を楽しみ、再創造する力

創造受容力 ― 悲劇を楽しみ、再創造する力

世の中には予期せぬ出来事がたくさんある。
自家用車の盗難のような、確率の低いハプニングもそのひとつだ。
多くの人は「なぜ自分が」と混乱し、怒りや悲しみに沈むだろう。

しかし、自分は違う。
そうした出来事の可能性を、あらかじめ想像力で予測しているから、実際に起きても悲しまない。
むしろ、大いなる存在が仕掛けた小さなイタズラとして楽しみ、笑い話に変えてしまう。

この力を、自分は 創造受容力 と呼んでいる。
出来事そのものを受け入れるのではなく、宇宙や大いなる存在の創造として能動的に受け止める力だ。
ここが通常の受容と大きく異なる点であり、逆転構造でもある。

多くの人は、現実に起きたことを受け入れるだけだ。
それに対して自分は、出来事が現実化する前、構想段階に参加している感覚を持つ。
たとえば「僕の車が盗まれる」というアイデアが大いなる方々の会議に上がったとき、
「なるほど、そのアイデアも面白い」と承認する。
現実化する前から楽しむのだ。

そしてここからがさらに面白い。
もし、自分が「自分の持ち家を全焼させよう」という構想会議に参加したとしたら、もちろん受容する。
しかしその上で、こう提案するだろう。

> 「もし本当にそうなったら、手作りで家を建ててみるのはどうだろう。
 最初は出来損ないで不便かもしれない。
 けれど、その不便さも楽しみながら少しずつアップグレードしていくのは面白いじゃないか」



この瞬間、創造受容力は受容を超えて、再創造の力に変わる。
悲劇を素材に、自らの創造性で現実を再編し、新しい物語を紡ぎ出すことができるのだ。

創造受容力は三段階で成り立つ。

1. 出来事のアイデア段階から楽しむ先取りの受容


2. 起きた出来事を宇宙の演出として味わう遊びとしての意味づけ


3. 受け入れた出来事を出発点に、自分の手で再創造する



この三段階が揃うと、悲しみは消え、怒りは変容し、人生の出来事はすべて創造の素材になる。

持ち家を失ったとしても、それは終わりではない。
むしろ、新しい創作の始まりに過ぎない。
だから笑い、手を動かし、世界を少しずつ自分の手で面白くしていく。
それこそが創造受容力の真髄であり、人生を自由に生きるための鍵だ。

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