私たちはこの世界に生まれ落ち、愛し、傷つき、また愛しながら人生を歩んでいます。
この壮大な舞台を前に、ふと考える人もいるでしょう。
「人間はなぜ生まれてきたのか?
そして“創った存在”がいるとすれば、その目的は何だったのか?」
本記事では、その根本命題に対する2つの仮説を比較してみます。
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① 玩具仮説:創造主は人間で遊んでいるだけ?
まずひとつの考えとして、
「創造主は人間を自分の玩具として創ったのだ」という説があります。
この仮説では、人間は創造主にとっての娯楽、つまり“おままごとの駒”のようなものだとされます。
● この仮説が前提とする世界観
世界は創造主の気まぐれで作られた
喜びも悲しみも、ただのシナリオの一部
苦しみや戦争も、創造主にとっての“エンタメ”である
● この仮説が抱える矛盾点
しかし実際の世界はどうでしょうか?
自然法則は極めて精密で安定しています
科学は再現性があり、秩序の上に成り立っています
人間の感情や倫理観は“ただの遊び”にはあまりに繊細すぎます
つまり、「世界があまりにもよくできすぎている」のです。
もし創造主がただ遊んでいるだけなら、もっと奇想天外で破綻した世界になっていてもおかしくないはずです。
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② 愛するため仮説:創造主は人間を“愛するため”に創った
一方、もうひとつの仮説があります。
それは──
> 「創造主は、ただただ人間を愛したかった」
というものです。
この仮説では、すべての存在・現象は
**「愛を与え、愛を受け取る」**という目的に沿って設計されています。
● この仮説が示す特徴
世界には秩序と美しさがある(自然・科学・音楽)
人間は“自由意志”を持っている(選ばせるため)
苦しみすらも、愛を深く味わうための背景になっている
創造主は“姿を見せない”ことで、全ての人間に平等を与えている
この構造は、非常に理にかなっており、希望に満ちています。
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比較まとめ
観点 玩具仮説 愛するため仮説
世界の構造 気まぐれ・破綻的なはず 極めて秩序的・緻密
人間の意味 駒・娯楽用の存在 愛の対象・表現者
創造主の特徴 自己中心的、退屈しのぎ 愛と平等に満ちた存在
現実との整合性 実際の世界と矛盾が多い 現実観察と矛盾しない
結果的な人生観 無意味・虚無的 深い意味と美しさを含む
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結論:「愛するため説」は“最も矛盾のない仮説”
この2つの仮説を冷静に比較すると、
「創造主は人間を愛するために創った」
という説の方が、現実と最も整合し、希望も感じられる仮説です。
これは“信じたいから信じている”のではありません。
論理的に予測していくと、必然的にこの形になるのです。
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最後に:信仰ではなく、“感じてしまった”という立場
「神を信じるかどうか」ではありません。
「その存在を感じてしまった」という人が、世界には確かにいます。
そしてその“お方”があえて姿を見せないのは、
誰一人取り残さないため。
この世界を完全な“愛と平等の土台”にするため。
そう考えると、世界のすべてが少し優しく、美しく見えてきませんか?
創造主は人間を「愛するため」に創ったのか?それとも「おもちゃとして」創ったのか?

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