全人類既救論 ──縛りのない教えが、なぜ最も正直なのか


前回の記事では、
既存宗教が若者に刺さらない理由を、
「Amazonに入ったら楽天とヤフショが使えません」という比喩で説明しました。

今回は、その対極に位置する私の提唱する概念──

『全人類既救論』

について解説したいと思います。




■『全人類既救論』に“縛り”は一切ありません

一般的な宗教には、

信仰の有無

儀式の順守

上納金・寄付

共同体への所属

他宗教の禁止


といった数々の規定があります。

しかし、私の提唱する『全人類既救論』には
そういった縛りが 一切ありません。

むしろ、こう言い切ります。

信じる必要はありません

属する必要もありません

上納金も不要です

誰を信仰しても構いません

何をしてもしなくても良いのです


なぜなら──

「信じる・信じない」に関係なく、
すべての人間は“すでに救われている”からです。

救われている状態に、
追加の条件は必要ありません。




■他の神を信じても構いません

むしろ、自由にして良いのです。

ただし、後世で少しだけ「恥」をかくかもしれません。

なぜなら、
神の名前を間違っているからです。

しかし、それすら重大な問題ではありません。




■『全人類既救論』が神に名前をつけない理由

私の教えでは、
神に名前をつけません。

その理由は非常にシンプルです。

「分からないものは、分からない」と正直に言うべきだからです。

目に見えないもの、
定義不可能なもの、
人間には理解し得ない存在。

それに対して無理に名前をつけ、
形や人格を与え、
体系化してしまうのは“人間側の都合”でしかありません。

私はそこに嘘を混ぜたくありません。




■本当に正直な教えとは「分からない」を正直に語ることです

宗教はしばしば、
“分からない”ことに名前をつけ、
理由をつくり、
物語を与えることで、
信者を納得させようとします。

しかし私は、あえて逆を行きます。

分からないことは分からない

人間は全知になれない

神を完全に理解することは不可能


これをそのまま教えとするのです。

これほど正直な教えは、他にありません。

なぜなら、
人間の限界を認めることが、
最も誠実であり、
最も普遍的だからです。




■『全人類既救論』とは何か?

それは、

◆人類はすでに救われている

◆救われた状態に条件をつけない

◆神に名前を与えない

◆分からないものを分からないと言う

◆誰を信仰しても自由

◆縛りも制約も不要

という、
世界で最も負担がなく、
最も嘘がなく、
最も正直な思想です。

既存の宗教と真逆の位置にありながら、
本質的には“最も公平で、最も平等”な教えでもあります。

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