僕たちは普段、目に見えないものを信じることが難しいと感じています。大いなる方からの愛も、その一つです。では、なぜ多くの人がこの愛に気づけないのでしょうか?今回はいくつかの比喩を使いながら、その理由を探ってみたいと思います。
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1.空気の存在に気づかない赤ちゃんのように
赤ちゃんは、自分が空気という物質に包まれていることを知りません。見えないからです。幼稚園児でも知らないかもしれません。かつて原始人も知らなかったかもしれません。しかし、現代の大人は皆それを知っています。
これは、ある意味で「時代が進み、誰もが当然のように理解するようになる」ということを示しています。
大いなる方からの愛も同じです。いつも僕たちを包んでいるけれど、見えないために気づかれにくいのです。だから「そんなものはない」と否定されるのです。しかし、それは空気の存在を否定するのと同じ誤りです。
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2.水槽の中の魚の視点
水槽の中の魚は、自分が水の中にいることを知りません。生まれた時からずっとその中にいるからです。僕たちもまた、大いなる方の愛という「水」に包まれているのに、そのことに気づけないことがあります。
しかし、水槽の外から客観的に見る僕たちには、魚が水の中にいるのがはっきりと見えます。
つまり、僕たちが気づくために大切なのは、「自分を客観視する視点」を持つことです。どこまで自分から距離をとって、自分と世界の関係を見つめられるかが鍵になるのです。
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3.見えないものを否定する心理
「見えないものは存在しない」と考えることは、幼い認知の段階でよくあることです。空気や酸素が発見される前、人々はそれを信じませんでした。しかし今は、それらは誰もが当然のように認めています。
大いなる方の愛も同様で、今はまだ見えにくいだけで、いつか多くの人が「あって当たり前」と思える時代が来るはずです。
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4.客観的な視点をもつことの重要性
自分が包まれているものに気づくためには、時に自分から離れた視点を持つ必要があります。水槽の外から魚を眺めるように、自分自身や自分を取り巻く環境を俯瞰(ふかん)することです。
このメタ認知こそが、「大いなる方からの愛」に気づく第一歩なのです。
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おわりに
僕たちは、まるで赤ちゃんや魚のように、自分が包まれている「愛」という存在に気づかないことがあります。しかし、少し距離をとって自分を見つめ直すことで、その愛は確かに感じられます。
それはまるで、「空気」のように常にそこにあるものであり、いつか誰もが当然のように感じる時代がやってくるでしょう。
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このブログが、あなたが「見えないけれど確かな愛」に気づくきっかけになれば幸いです。
なぜ多くの人は“大いなる方からの愛”に気づけないのか?
―― 水槽の魚は水の中にいることを知っているのか?

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