【錯覚的自由論・第3章】

忙しい現代人への静かな提案:

―感情を“味わう”という本当の自由―

私たちは今、 「感じる前に動く」 「動いたことを記録する」 「次の目的地へ急ぐ」

そんな連続の中で生きています。

もはやそれは本能ですらなく、習慣になっています。

しかし、感情は与えられているのです。

たとえ1秒でも、美しい景色を見たとき、 好きな人に会ったとき、 言葉にできない衝動が心に波のように押し寄せることがあります。




ですが、現代人の多くはこうして過ごします。

楽しかった → 「明日は何しよう?」

金メダルを取った → 「次も勝たなければ」

ムカついた → 「上司に文句を言おう」

悲しかった → 「新しい恋を探そう」


つまり、**感情を“味わっていない”**のです。

感情とは「感じて終わり」ではなく、 感じた後に“そこにとどまる”ことができる贈り物なのです。




ある観光客の例:

仕事で疲れた心を癒すために旅に出た彼女。 美しい滝の前に立ちます。

10秒、滝を見ます。 その後3分間、スマホで撮影。 SNSに投稿。 「いいね!」を見て満足し、次の撮影スポットへ。

この人は、“癒される”という感情を味わったでしょうか?

おそらくNOです。

確かに、滝の風景は目に入っていた。 だが、 心に入ってはいなかった。




ここに新たなる自由の定義があります。

「感じた感情を、その場にとどまり、味わう自由」

これが現代人にとって最も不足している“自由”であり、 同時に、誰からも奪われることのない“最高の贈り物”なのです。

どんなに体を拘束されても、 どんなに外界のノイズに囲まれても、 感情を味わう自由だけは、誰にも奪えない。




小さな提案:

もしあなたが、 次に美しい風景に出会ったとき、 もしくは何かに感動したとき、

どうか、 スマホを置き、 その感情を、 5秒でも、10秒でも、じっと味わってみてください。

風、匂い、音、胸の奥の高鳴り。 それらを味わうことこそが、

もしかしたらあなたにとっての 「生まれて初めて感じた本物の自由」 かもしれません。




終わりに:

自由とは、何かを選ぶことではなく、 **与えられた感情に“とどまれる力”**なのです。

この自由を、あなたに。

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