【第二部:錯覚的自由論】〜感情とはどこからきたのか〜

私たちの選択は、
しばしば「直感で決めた」「気分で選んだ」「なんとなくそう思った」と説明されます。

けれど、それは説明にはなっていません。
単に、言葉にできない「何か」によって決まったと述べているだけです。




では、その「何か」とは?

それこそが、「感情」です。

感情は、論理や思考よりも先に生じ、
私たちの行動や判断に深く影響を与えています。

しかし、ここで問いが生まれます。




感情はどこから来たのか?

脳科学では「神経伝達物質」「扁桃体の活動」などが語られます。
しかし、それでもなぜ今このタイミングで、こういう感情なのか?
という問いには、いまだ決定的な答えはありません。




ひとつの仮定があります。

それは、**感情は「与えられている」**という視点です。

意図的にポジティブな感情を生み出すことは難しく、
ネガティブな感情を「無理やり消す」こともできません。

でも、私たちはそれを**「味わう」ことは許されている**。




味わう自由、それこそが本当の自由

たとえ体を拘束されても、
心の中で「愛おしい」「寂しい」「切ない」などの感情を味わうことは止められません。

たとえそれが「悲しみ」や「怒り」でも、
それを自分の中で確かに“抱きしめる”ことができる。

それはまさに、人間だけに与えられた驚くべき恵みです。




【最終結論】

選択の自由は、錯覚だった

しかし、感情を味わうという自由は、誰にも奪えない

その感情は、どこからともなく与えられたもの

そしてその恵みに気づいたとき、はじめて人は本当の意味での自由に触れる

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