私たちの選択は、
しばしば「直感で決めた」「気分で選んだ」「なんとなくそう思った」と説明されます。
けれど、それは説明にはなっていません。
単に、言葉にできない「何か」によって決まったと述べているだけです。
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では、その「何か」とは?
それこそが、「感情」です。
感情は、論理や思考よりも先に生じ、
私たちの行動や判断に深く影響を与えています。
しかし、ここで問いが生まれます。
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感情はどこから来たのか?
脳科学では「神経伝達物質」「扁桃体の活動」などが語られます。
しかし、それでもなぜ今このタイミングで、こういう感情なのか?
という問いには、いまだ決定的な答えはありません。
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ひとつの仮定があります。
それは、**感情は「与えられている」**という視点です。
意図的にポジティブな感情を生み出すことは難しく、
ネガティブな感情を「無理やり消す」こともできません。
でも、私たちはそれを**「味わう」ことは許されている**。
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味わう自由、それこそが本当の自由
たとえ体を拘束されても、
心の中で「愛おしい」「寂しい」「切ない」などの感情を味わうことは止められません。
たとえそれが「悲しみ」や「怒り」でも、
それを自分の中で確かに“抱きしめる”ことができる。
それはまさに、人間だけに与えられた驚くべき恵みです。
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【最終結論】
選択の自由は、錯覚だった
しかし、感情を味わうという自由は、誰にも奪えない
その感情は、どこからともなく与えられたもの
そしてその恵みに気づいたとき、はじめて人は本当の意味での自由に触れる
【第二部:錯覚的自由論】〜感情とはどこからきたのか〜

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