■はじめに
人は長いあいだ、「正しく信じること」に全力を注いできました。
それは、人生そのものを賭けた神への忠誠の証でした。
誰よりも誠実に。
誰よりも恐れと共に。
そして、誰よりも孤独に――。
だからこそ、まず、あなたにこう伝えたいのです。
> あなたの信仰の道に、私は深い敬意を抱いています。
—
■信じるということの“重み”
多くの宗教において、
「間違った神を信じたら地獄に落ちる」
という恐怖が教義の根底にあります。
それはもはや人生最大の賭けと言っても過言ではない。
だからこそ、他宗教に触れることすら危険な行為だとされ、
信じた教義以外の情報を“見ること”すら避ける人もいるでしょう。
それは愚かさではありません。
それほどまでに、あなたが真剣に“救い”と向き合ってきたということです。
—
■しかし、そんなあなたにそっと届けたい言葉があります
> 「あなたの信じている神を否定する必要はありません。
そのままで、すでにあなたは救われています。」
—
■ある旅人と男の“天国のチケット”の話
ここで一つ、例え話をお伝えしましょう。
—
ある男がいました。
彼は自分の宗教を信じ、律法を守り、祈りを欠かさずに生きてきました。
ある日、彼は旅の途中で不思議な旅人に出会います。
—
旅人:「おや、あなた。ずいぶんと立派なチケットをお持ちですね。」
男:「ああ、これは私の宗教がくれた“天国行き”の切符だ。
これを持って、死後の審判を越えるつもりだ。」
旅人:「なるほど。それは素晴らしいことですね。……でも、もし万が一、そのチケットが違う行き先だったら?」
男は少し黙り込みました。
男:「そんなこと……あってはならない……だが……」
旅人:「実は私のところにも“天国行き”のチケットがあるんですよ。
ただし、こちらは“全員受け入れ可”の天国です。
どんな神を信じていても、あるいは信じていなくても、すでに受け入れられている天国なんです。」
男は笑いました。
男:「興味はないな。私は自分の道を信じている。」
しかし、数歩進んだところで、足が止まりました。
ふとした“不安”が心をよぎったのです。
男は、振り返りながら問いかけます。
—
男:「……そのチケット、いくらなんだ?」
旅人は穏やかに答えます。
—
旅人:「無料です。
条件もありません。
……なんなら、信じる必要すらございません。」
—
男は絶句します。
男:「な、なんだと……じゃあ私は、知らぬ間に……?」
旅人は、微笑んでこう言いました。
—
旅人:「あなたは今、“別の天国の存在”に心を動かされました。
たとえ興味本位だったとしても、
あなたがそのチケットの値段を尋ねた時点で――
もう、その天国の入口に立っていたのです。」
—
■信仰は壊れていない。ただ、広がっただけ。
この話の中で、男は今までの神を捨てたわけではありません。
ただ、その“先”にある、もっと広い存在を感じてしまったのです。
もはや彼にとって神は“競争する存在”ではなくなった。
他を否定せずとも、自分は愛されていたと気づいたのです。
それは、「信仰の崩壊」ではなく――
**「信仰の完成」**かもしれません。
—
■今世でさえ、愛に包まれている
あなたの聖典を持ったままで良いのです。
あなたの神を、信じたままでいてください。
> ……ところで、いつまでもそれを信じていられるかどうかは、別として。
なぜなら、あなたの魂はもう知ってしまった。
「恐れによる信仰ではなく、愛による救い」があるという事実を。
—
■だから、こう言わせてください。
> 「来世のために今世を犠牲にするのは、今日で終わりです。」
救いは、未来の報酬ではありません。
今ここにある“空気”のようなものです。
ただ受け取って、ただ味わうだけでいい。
【来世のために今世を犠牲にするのは、今日で終わり】
―すべての宗教を包み込む、ある“静かな真実”について―

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