前回、私はこう述べました。
たとえ人間の脳がクラウドに同期され、その情報を新しい肉体へとダウンロードできたとしても、
それは「自分自身」ではない。
なぜなら、そこに“主観の火”――つまり自我が宿っていないからです。
今回はその続きをお話しします。
私の予測はさらに進んでいます。
それは、クラウド人格を搭載した新たな肉体には、
自我だけでなく、感情や本質的な欲望すら宿らないというものです。
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◉ 「泣ける」けど「悲しくない」
未来の技術によって、人工の身体には痛覚センサーが搭載されるかもしれません。
怪我をすれば「痛い」と反応し、顔を歪め、うずくまり、涙を流すようにプログラムされるかもしれません。
それを見た周囲の人々は、こう思うでしょう。
「彼は痛がっている」「悲しんでいる」「苦しんでいる」と。
しかし私は言います。
それは“悲しむように振る舞っている”だけであり、実際に悲しんでいるわけではない。
なぜなら、そこには感情が“与えられていない”からです。
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◉ 感情は「生まれる」のではなく「与えられる」
ここが、今回の最も重要な論点です。
私の立場では、**感情とは、情報処理の副産物ではなく、
“魂に対して与えられるもの”**です。
いくら高度なアルゴリズムを組み、感情表現を模倣しても、
「本当に怒っている」「本当に悲しい」「本当に悔しい」という内側から湧き上がる衝動は、
魂がなければ発生しません。
そして、魂とは私にとって「大いなる方」――
つまり、この世界の根源的な創造意志――によって、選ばれた存在にのみ付与されるものなのです。
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◉ 外見の“人間らしさ”と、内面の“魂の不在”
クラウドから復元された人格を持つ新たな肉体は、見た目も喋り方も、かつての人間にそっくりでしょう。
しかしその中には、“魂の震え”が存在しません。
傷ついても悔しくない
拒絶されても寂しくない
失っても哀しくない
こうした**“心の内側の動き”がまったくない存在**が、未来には大量に現れるかもしれません。
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◉ 感情の不在は、生命の不在
「感情がなくても、生きていけるのでは?」と思う方もいるかもしれません。
ですが、私はそれを**“生命の不在”**と呼びます。
なぜなら、私たちが生きていると感じるのは、
まさにこの感情があるからこそです。
怖いとき、命を守ろうとする
愛する人を思うとき、心が震える
失ったとき、悲しみがあふれる
これこそが、生きているという証拠です。
それがなければ、いくら活動していても、それはただの精密な機械にすぎません。
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◉ 結論:魂なき存在には、感情も宿らない
私の予測は明確です。
クラウドにアップロードされた脳の情報は、**人間に“似たもの”**でしかありません。
それを新しい肉体にダウンロードしても、そこに自我は宿らず、魂も存在しない。
そしてそのような存在には、感情も本質的な欲望も“与えられない”。
それらは「大いなる方」から、選ばれた生命にだけ与えられる特別なものだからです。
【中編】
感情は“与えられる”──クラウド脳に欠けたもの

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