未来の医療テクノロジーの中でも、ひときわ注目を集めているのが「脳のクラウド同期」という概念です。
これは、人間の脳の情報――記憶や思考、性格や癖といったものを――クラウド上にアップロードすることで、不老不死を実現しようとする技術です。
夢のように聞こえるかもしれません。
しかし私は、この考えに対して明確に「それは不可能である」と唱えています。
なぜなら、自我――つまり「私が私であるという感覚」は、複製できる情報ではないと考えているからです。
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自我とは何か?
私たちは、記憶や性格、好みや習慣といったもので「自分らしさ」を感じています。
けれど、本当に“自分”を“自分”たらしめているのは、「今、ここにいて、感じているという感覚」ではないでしょうか?
この「主観の火」、つまり“意識の主体”は、情報ではなく、体験そのものです。
クラウド上に記憶や思考パターンをコピーしたとしても、それがどれほど精密であっても、それは自分自身が感じていることではありません。
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複製された人格は本人なのか?
たとえば、ある日、あなたの脳の中身をそっくりそのままクラウドにアップロードしたとしましょう。
その後、あなたは生きており、「自我はここにある」と、確かに感じています。
一方、クラウドの中の“あなた”が「私は本人です」と言ったとして、
それに説得力があるでしょうか?
私は、まったく説得力はないと考えます。
なぜなら、オリジナルであるあなたはその瞬間も“自分”を生きているからです。
「ここにある」と主張できる“今の感覚”こそが自我であり、
それがないクラウド人格の言葉は、録音されたテープのようなものにすぎません。
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分岐する人格――似て非なる他人
さらに時間が経過すれば、オリジナルのあなたとクラウドの「あなた」は、それぞれ別の体験をします。
つまり、もはや語る内容も、考え方も、感情の動きも異なる存在になるのです。
見た目や喋り方、思考傾向がどれほど似ていても、それは**双子のような“別人”**です。
クラウドの人格が、「私はあなたです」と言い続けたところで、
それはかつてのあなたに“似ている存在”でしかありません。
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結論:自我は複製できない
どんなにテクノロジーが進化しても、自我の本質は、コピーできるようなものではないと私は確信しています。
それは「今、私が感じているこの瞬間」にしか宿らない、極めて唯一な体験です。
未来技術に夢を見るのは素晴らしいことです。
けれど、**「クラウドに上げれば自分は永遠に生きられる」**という幻想は、
本質的な“死の克服”ではなく、**単なる“自分に似たものの保存”**にすぎないのです。
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おわりに
私は、不老不死という概念に対して否定的なわけではありません。
ただ、**「本当の私とは何か?」**という問いに向き合ったとき、
その答えは、技術的コピーの先にあるとは思えないのです。
もし、誰かがこの議論を通じて、未来の医療技術に対する“盲信”から一歩引いて考えるきっかけになれば、
それはとても意味のあることだと思います。
【不老不死は実現可能か?】
脳のクラウド同期と「自我の複製」は本当に可能なのか?前編

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