『☆素敵な勘違い☆』


――人は、勘違いの上に立って生きています

人間は、何かを理解するたびに賢くなっていく。
そう思われがちですが、これは半分だけ正しい表現です。

正確に言うなら、人間は
自己理解や他者理解が深まるほど、自分の「勘違い」を発見していく生き物
なのだと思います。




勘違いは、無知の証拠ではありません

子供はよく、こんな勘違いをします。

> 自分はヒーローになれる
特別な能力を持っていて、悪者をやっつけられる



しかし成長するにつれて、多くの人はこう気づきます。

> 自分にはそんな能力はない
せいぜい、物語に出てくる村人Aだ



このとき人は、
「勘違いを捨てて現実を知った」と思いがちです。

ですが実際には、
別の勘違いに乗り換えただけなのかもしれません。




人間は、おそらく何も知っていません

科学は大きく進歩しました。
地球は太陽の周りを回っている。
宇宙は広大で、物理法則に支配されている。

しかしそれらはすべて、
人間の感覚や知性で
もっとも都合よく説明できている仮説にすぎません。

もし造り主が、こう言ったとしたらどうでしょうか。

> 「空とは、私が描いている絵画である
宇宙など存在しない」



その瞬間、
物理学も天文学も、すべては勘違いになります。

つまり人間は、
原理的に、世界そのものを知ることはできない存在なのです。




それでも、人は生きていきます

では、すべてが勘違いだとしたら、虚しいのでしょうか。
私はそうは思いません。

ここで大切なのは、次の視点です。

> 勘違いは、捨てるものではありません
選ぶものです



人間にできることは、ただ一つ。

> 「どの勘違いの上に立って生きるか」を選ぶこと



それだけなのです。




素敵な勘違い

私が選んでいる勘違いは、次のようなものです。

> 世界のほとんどのものは
すでに自分の手の中にある
あとは、それを近くに配置するかどうかを
自分で決めるだけだ



もちろん、これは事実ではありません。
法的にも、物理的にも、論理的にも勘違いです。

しかし、この勘違いの上に立ってみると、
不思議な変化が起こります。

物を欲しがらなくなります

所有に執着しなくなります

見栄や比較が消えていきます

世界を奪おうとしなくなります


例えば、ドレスアップカーや高級チューンドカーの
カーショーを見たときでも、こう感じます。

> どれも豪華で、確かに美しい
ただ、そばに置くと少し騒がしそうだ
見ているだけの方が、気楽でいい



これは諦めではありません。
自由なのです。




勘違いを自覚したまま、生きるということ

ここが、もっとも大切な点です。

私はこの勘違いを
「本当のことだ」と信じ込んでいるわけではありません。

> これは勘違いだと分かっている
それでも、この勘違いの上に立って生きる
と、選んでいるだけです



子供のヒーロー願望との決定的な違いは、ここにあります。

無自覚な勘違いは、危うい

自覚した勘違いは、静かで強い


私は、自分が本当にヒーローだとは思っていません。
しかし、ヒーローの視点で世界を見ることを、あえて選んでいます。




結論:人は、勘違いでできています

自己理解が深まれば深まるほど、
人は「自分は何も知らない」という事実に近づいていきます。

その最深部にあるのが、

> すべては勘違いかもしれない



という認識です。

だからこそ、問うべきなのは真理ではありません。

> どんな勘違いが、
自分を静かにし、
他者を侵さず、
世界を美しく見せてくれるのか



私は、その条件を満たす勘違いを
**「素敵な勘違い」**と呼びたいと思います。

そして今日もまた、
素敵な勘違いを楽しみたいと思います。

あなたはどんな素敵な勘違いを見つけますか?

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