――人は、勘違いの上に立って生きています
人間は、何かを理解するたびに賢くなっていく。
そう思われがちですが、これは半分だけ正しい表現です。
正確に言うなら、人間は
自己理解や他者理解が深まるほど、自分の「勘違い」を発見していく生き物
なのだと思います。
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勘違いは、無知の証拠ではありません
子供はよく、こんな勘違いをします。
> 自分はヒーローになれる
特別な能力を持っていて、悪者をやっつけられる
しかし成長するにつれて、多くの人はこう気づきます。
> 自分にはそんな能力はない
せいぜい、物語に出てくる村人Aだ
このとき人は、
「勘違いを捨てて現実を知った」と思いがちです。
ですが実際には、
別の勘違いに乗り換えただけなのかもしれません。
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人間は、おそらく何も知っていません
科学は大きく進歩しました。
地球は太陽の周りを回っている。
宇宙は広大で、物理法則に支配されている。
しかしそれらはすべて、
人間の感覚や知性で
もっとも都合よく説明できている仮説にすぎません。
もし造り主が、こう言ったとしたらどうでしょうか。
> 「空とは、私が描いている絵画である
宇宙など存在しない」
その瞬間、
物理学も天文学も、すべては勘違いになります。
つまり人間は、
原理的に、世界そのものを知ることはできない存在なのです。
—
それでも、人は生きていきます
では、すべてが勘違いだとしたら、虚しいのでしょうか。
私はそうは思いません。
ここで大切なのは、次の視点です。
> 勘違いは、捨てるものではありません
選ぶものです
人間にできることは、ただ一つ。
> 「どの勘違いの上に立って生きるか」を選ぶこと
それだけなのです。
—
素敵な勘違い
私が選んでいる勘違いは、次のようなものです。
> 世界のほとんどのものは
すでに自分の手の中にある
あとは、それを近くに配置するかどうかを
自分で決めるだけだ
もちろん、これは事実ではありません。
法的にも、物理的にも、論理的にも勘違いです。
しかし、この勘違いの上に立ってみると、
不思議な変化が起こります。
物を欲しがらなくなります
所有に執着しなくなります
見栄や比較が消えていきます
世界を奪おうとしなくなります
例えば、ドレスアップカーや高級チューンドカーの
カーショーを見たときでも、こう感じます。
> どれも豪華で、確かに美しい
ただ、そばに置くと少し騒がしそうだ
見ているだけの方が、気楽でいい
これは諦めではありません。
自由なのです。
—
勘違いを自覚したまま、生きるということ
ここが、もっとも大切な点です。
私はこの勘違いを
「本当のことだ」と信じ込んでいるわけではありません。
> これは勘違いだと分かっている
それでも、この勘違いの上に立って生きる
と、選んでいるだけです
子供のヒーロー願望との決定的な違いは、ここにあります。
無自覚な勘違いは、危うい
自覚した勘違いは、静かで強い
私は、自分が本当にヒーローだとは思っていません。
しかし、ヒーローの視点で世界を見ることを、あえて選んでいます。
—
結論:人は、勘違いでできています
自己理解が深まれば深まるほど、
人は「自分は何も知らない」という事実に近づいていきます。
その最深部にあるのが、
> すべては勘違いかもしれない
という認識です。
だからこそ、問うべきなのは真理ではありません。
> どんな勘違いが、
自分を静かにし、
他者を侵さず、
世界を美しく見せてくれるのか
私は、その条件を満たす勘違いを
**「素敵な勘違い」**と呼びたいと思います。
そして今日もまた、
素敵な勘違いを楽しみたいと思います。
あなたはどんな素敵な勘違いを見つけますか?

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